Y.A.Sports

全ての掲載内容は、全てのアスリート及びチームに対する深い尊敬の下で著述されています。

石川雄洋とはすなわち、ベイスターズである

村瀬秀信さんが著した『4522敗の記憶 ホエールズベイスターズ涙の球団史』を、今更ながら読み終えた。大洋、横浜、DeNAと連なっていく球団の歴史を往年の名選手らへのインタビューから明らかにしていくベイスターズファン必読の名著。軽妙で自虐的な文体に「わかるなあ」と何度も笑わされ、村瀬氏の球団愛溢れる文章に「わかるなあ」と何度も泣かされた。ひとつの歴史書として、過去を知らないベイスターズファンにベイスターズの何たるかを教えてくれる。ひとつの物語として、過去を忘れようとするベイスターズファンにベイスターズの何たるかを思い出させてくれる。そんな力に満ちていた。

そこに描かれていたホエールズ、そしてベイスターズはなんともおおらかで、不器用で、適当で、それでいて熱さ、ひたむきさが失われることはなく、ただそれが嚙み合わない。ファン歴10年にも満たない筆者だが、それでも「既視感のある話だ」と苦笑いしてしまうほどに、脈々と連なってきた横浜の血があった。

そしていつの間にか、そこに描かれる球団を一人の選手と重ね合わせていた。

それが、石川雄洋だ。

 

石川雄洋のキャリアは一時代の終わりと共にやってきた。逆に言えば、ひとつの時代を終わらせるために石川雄洋のキャリアは始まった。

「若返り」という名の下の、石井琢朗との決別。ベテランは暗黒球団のスケープゴートとして排除され、期待の若手は暗黒球団の希望として担ぎ上げられる。「今」に希望を持てない球団に必ず起こる再生のための儀式。その生贄が石井琢朗だった。

98年日本一、その後もベイスターズの為に尽力した大功労者。それを責任を取らせるかのように追い出した球団は、当然ファンからの大きな非難を受ける。球団主催の退団セレモニーもなく、石井が自腹でハマスタを借りて「お別れ会」を開いたというのも有名な話だ。

功労者を大事にしない。不器用な別れ方しかできない。古くは秋山登土井淳高木豊、屋敷要と続く球団の体質。その産物が、若き日の石川雄洋だった。

それでも石川は期待に応えようと奮闘した。石井退団後の2009年に遊撃手のレギュラーとして規定打席に到達。攻守に課題を残したが、当時23歳の若武者がレギュラーとなった、そのことだけでベイスターズファンは未来に希望の光を見た。翌2010年には打率.294。リーグ2位の36盗塁を決め、153もの安打を積み重ねる。この時24歳。打撃成績だけ見ればレギュラーの地位を確立し、立派に石井の跡を継ごうとしているように見える。

だが、石川は石井にはなれなかった。なぜか。遊撃手として致命的に守備がヘタクソだったからだ。そもそも多い失策数に加え、数値化される狭い守備範囲。『タケタケステップ』とも揶揄された見るからに不器用な内野守備は徐々にファンの目を覚まさせていく。「こいつがショートじゃヤバいんじゃないか?」「石井琢朗の面影もないじゃないか」

そして事件が起こった。2011年10月22日の東京ドーム。忘れもしない、「横浜ベイスターズ」最後の試合。先発した当時20歳のホープ国吉佑樹の力投で2-1、1点リードして迎えた9回裏だった。マウンドには守護神・山口俊。石川はその回から遊撃のポジションへ入っていた。すると先頭打者・谷佳知が放ったなんでもないショートゴロをファンブル。それが山口のリズムを乱し、村田が移籍を決断した瞬間と言われる長野久義の逆転サヨナラ満塁弾へと繋がっていった。最多勝のタイトルを決め、涙を流してベンチを飛び出す内海哲也。沸き立つオレンジ一色のスタンド。ホームキャンバスに歓喜の輪をつくるナインと、笑顔でベースを周ってくる長野。そしてそれをなんとも寂しげに、悲しげに、無力さを噛みしめるように眺めていた村田。あの試合の強烈なコントラストはベイスターズファンの脳裏に染みついて剝がれない。「横浜ベイスターズ」の弱さ、それを凝縮したのがあの試合であり、石川のエラーだった。

 石川雄洋はどこまでも不器用だ。打球の捕球体勢。ボールの握り替え。送球の足の運び。時折見せるヘッドスライディングもなんだかぎこちない。セカンドとして、二遊間の打球に追いついて「アライバ」のようにショート山崎憲晴へトスしようとするが、タイミングか合わずボールが山崎憲晴の頭を越えていくという悲しい程に滑稽なプレーも見せた。年齢を重ねるごとに、石井退団時にファンが思い描いた成長曲線との差が大きくなっていく。今度は石川が暗黒期のスケープゴートとして叩かれ、排除を望まれるようになっていた。ファンにとってベイスターズ暗黒の象徴、弱さの象徴が石川雄洋だった。

 

それでも、石川が纏っているのはベイスターズの弱さばかりではないことを私は知っている。筆者が石川の虜になった試合、1打席があった。

親会社がDeNAとなって2年目のシーズンを迎えた本拠地開幕戦。まだ寒い横浜のナイトゲームだった。巨人との試合は、序盤のリードを守れず8回裏に3点を追う、親の顔より見た展開。

しかし8回表、救援した山口鉄也を攻め立てて無死一・二塁の好機を作る。そこで打席に立ったのが、DeNA初代主将の石川だ。

3球で追い込まれ1ボール2ストライクとされた石川。しかし勝負はそこからだった。 

 4球目。際どいアウトコースを見逃してボール。2ボール2ストライク。5球目、6球目、7球目、8球目とファウルを続け、9球目に再び際どいアウトコースを見逃す。これもボールとなり、3ボール2ストライク。10球目、ファウル。11球目、ファウル。12球目、ファウル。ハマスタが異様な空気に包まれていく。13球目、ファウル。 14球目、ファウル。15球目、ファウル。そして16球目。インコースのボールを打った打球はついにフェアグラウンドへ転がる。ボテボテのファーストゴロ。石川は全力で走り、頭から滑り込む。山口鉄也がベースカバーにもたつく。そして山口の足より先に、石川の手がファーストベースに触れた。セーフ。審判の両腕が広がった瞬間、ハマスタは地鳴りのように湧き立つ。石川も小さなガッツポーズを見せた気がした。山口が石川に1球目を投じてから、もうすぐ10分が経とうとしていた。

この試合の実況を担当したTBS・椎野茂アナウンサーも放送席で興奮を隠せない。「水差し野郎」「なぜインコースのストレートを使わない。使えないのか。使いたくないのか。使う度胸もないのか。」とベイスターズ愛溢れる名実況でファンの心を代弁してきた彼がこの時石川を評して言った「一つの打席に賭ける想い」という言葉。まさにそういった戦う姿勢、諦めない姿勢を一身に示してくれた一打席だった。その姿はベイスターズという球団が持つ熱さ、ひたむきさと重なって見えた。

ただ、無死満塁の押せ押せムードで結局敗れるところだったり、石川がその翌月に「態度が悪い」と中畑監督の怒りを買って二軍降格となるところだったり、結局「ベイスターズベイスターズ」「石川は石川」という感じがまたベイスターズらしく、石川らしい。

 

しかし、ベイスターズは変わった。DeNA以降のドラフト選手が次々と芽吹き、座席のオレンジ色ばかり目立つガラガラのライトスタンドは今や「プレミアチケット」状態で満員のファンが青く染め上げる。誰を使っても一緒と言わんばかりにコロコロ変わっていたスタメンはほぼ固定され、三浦大輔高崎健太郎しかローテーションを守れなかった投手陣もいつの間にか「左腕王国」として投手力を武器にするようになっていた。今年、いつだったか、一・三塁で一塁ランナーが挟まれている間に本塁を伺った三塁ランナーをロペスが難なく刺したシーンがあった。そんなことが当たり前のようにできるチームになったんだと感激したのを覚えている。

そして何より2年連続のCS出場と19年ぶりの日本シリーズ出場。球団が成し遂げた本当の変化を目の当たりにした。

 

だが、日本シリーズの舞台に石川雄洋の姿は無かった。前半こそスタメン出場を続けていたが、怪我で二軍降格。その後は石川の役割を若い柴田が担い、石川に出場機会はほとんど与えられなかった。「弱いベイスターズ」の象徴である石川が試合に出られないことを、チームの変化として歓迎する声も出る。

けれど、それは嫌だ。完全な感情論。石川雄洋に魅せられた一ファンの駄々と言われても仕方がない。それでも、嫌なものは嫌だ。

ベイスターズは今まで、過去を切り捨てることで未来を作ろうとしてきた。高木豊らの解雇で駒田徳広を獲得したことしかり、石井琢朗の解雇で世代交代を図ったことしかり。

その歴史を繰り返していいのか。31歳の石川は既に生え抜き最古参の選手になった。暗黒期の選手が次々とクビになっていく中で生き残った貴重な中堅選手だ。「ダラダラしてる」「無気力」だなんて外野のファンはいうが、チームの中からはそんな声はまるで聞こえない。一番練習する男。一番チームのことを考えている男。石川の跡をついでキャプテンとなった主砲・筒香をしてそう言わしめる選手だ。

かつて内川聖一石井琢朗鈴木尚典らの妥協なき背中を見て「プロの練習」を知ったという。そんな良い影響を与えられる選手が石川雄洋なのかもしれない。とはいえ、今の成績では石井琢朗にはなれないし、意味のない練習なんて言われても仕方がない。

 

石川雄洋とは、そのままベイスターズだ。だから、石川もベイスターズと一緒に昇ってきてほしい。暗黒を知る選手が過去と未来を繋ぐ架け橋となることで、初めて球団の歴史は連なっていく。そう思うから。そしてその役目を担えるのはもう石川しかいないのだ。だから石川雄洋、もう一度あの日の熱を見せてくれ。不器用に、それでもひたむきに。歓喜の輪の中で笑う石川を見た時に、私はやっと泣ける気がする。